
1970年代の羽田空港にてJALのB747SRから降機する乗客と次便の運航乗務員 北島幸司 無断使用を禁じます
羽田空港に航空博物館を建てたいという動きがNPO法人羽田航空博物館プロジェクト(HASM)となって継続しています。代表者の一人で理事の星加正紀さんに話を聞く機会がありました。

第一ターミナルビルからの眺望
お宝写真のゆくえ
羽田空港を運営する日本空港ビルデング株式会社にはかつて「写真部」があり、空港内の出来事を中心に団体旅行の記念写真や、空港職員の証明写真などさまざまな写真を撮影していました。
ある時、同部門が保管していた約2000枚の写真を廃棄することになりました。それを聞いたHASMが何とか残したいと考え、協力してくれることになった徳間書店に預けたところ、すべてスキャンしたものが残され、2023年4月に「羽田空港アーカイブ1931‐2023」として出版されました。
撮影年月日や場所、人物などの記録がほとんど残っておらず、「これは何の写真なのか」が分からない状態だったものを、HASMが写真を一枚ずつ確認し、何が写っているのか、いつ頃撮影されたのか、資料としての価値はあるのかを調査。その中から約800枚を選び、キャプションを付けて写真集にまとめました。
この作業は、単なる写真集制作ではなく、失われるはずだった羽田の歴史資料を後世に残すアーカイブ事業となりました。

羽田空港アーカイブの写真集
「責任編集」を誰が担うのかという問題
写真の所有者は日本空港ビルデングでしたが、企業として「責任編集」を負うことには慎重でした。そこで徳間書店が責任編集を担い、HASM側が資料整理や監修などに関わったです。結果として日本空港ビルデングが約3000冊を購入し、写真集として成立しました。
星加さんは、この一連の経緯を振り返りながら、「捨てられるはずだった資料を、どう残すか」には所有者、出版社、研究者・専門家それぞれの役割分担が重要だと話してくれました。

第3ターミナルビルからの眺望
写真集から「羽田空港アーカイブ展」へ
写真集制作をきっかけに、2023年には羽田空港第1ターミナル5階で「羽田空港アーカイブ展」を開催。その後、第2ターミナルなどにも展示を展開し、現在の「ヒストリー・オブ・羽田」展につながっています。
現在の展示の特徴は、JAL、ANA、東京モノレール、京急など、羽田空港に関係するさまざまなステークホルダーから資料を借りているのが特徴です。
星加さんはこれを、「空港は一つの器であり、いろいろなステークホルダーの集合体」と捉えています。つまり、「空港ターミナルそのものを航空文化の共有空間として活用することが重要です」と言います。
空港会社の定款には「航空思想の普及」という古めかしい基本ルールが残されていますが、それがまさに過去を知って、未来に残そうという考え方なのです。
「羽田空港おもしろ事典」で知られざる歴史を掘り起こす
写真集に続き、羽田についてのあまり知られていないエピソードを約100項目にまとめた「羽田空港おもしろ事典」も制作されました。
代表例として挙げられたのが、松田聖子の『ザ・ベストテン』羽田空港生中継です。彼女の2作目にして大ヒット作「青い珊瑚礁」でランキング入りした際、千歳から羽田へ向かう全日空のジャンボ機から降りて、そのまま機体の前で歌うという、現在では考えられないような生中継が行われました。
また、ビートルズが羽田のどのスポットに到着したのか、羽田と穴守稲荷の歴史、昔の羽田空港の見学施設、空港での待ち合わせ場所など、一般的な空港史にはあまり登場しないエピソードを掘り起こしています。

羽田空港おもしろ事典も出版されています
将来につなぐ
現在、第一ターミナルビル5階のHANEDA HOUSE内スターバックスの奥の特設会場にて開催中の「THE HISTORY OF HANEDA空がつなぐ。」展は2027年3月31日まで。
そのまま恒久的な公開になることを期待して、PAN NAM資料で展示協力した筆者も展示替えの時には、新たな資料を持ち込もうと考えています。

