スカイマークは、1998年に初就航しました。翌年には2番目の路線として伊丹空港を基点に福岡と新千歳を結ぶ路線を開設しましたので、現在の神戸空港就航に至るまで、関西の3空港すべてと縁があったことになります。
その伊丹路線も、1年という短期間で運休してしまいました。
羽田を基地としない路線展開を就航二年目早々に実現してしまったのは、経営的には厳しい判断が降りても仕方ありません。
しかし、そこには同社なりの深謀遠慮があったのです。
当時、羽田の発着枠が無かった為に、新規開設する路線は羽田以外でしかありませんでした。そこで考え出されたのが、もう一方の福岡空港を拠点にしてしまおうという考えです。
羽田と福岡以外に新規路線を開設すると、一路線で二拠点の開設が必要です。
福岡を基点にすることで同じコストで、一気に二路線が開設出来る訳です。
簡単に説明しますと、二路線目を仮に名古屋⇔新千歳⇔仙台などにしてしまうと二路線で三拠点が必要です。これを福岡と繋げてしまえば、福岡⇔伊丹⇔新千歳と二拠点の開設で二路線が追加出来る事になります。
航空会社の路線展開は、線で結ばれますので、それが繋がっていたほうが効率いい訳です。
当時、東京本社の社員の出張で新千歳まで直行で1時間半のところ、羽田⇒福岡⇒伊丹⇒新千歳と移動しているツワモノもいたと聞きます。
これは極端な例としても、福岡から伊丹経由で新千歳に乗り継いで行かれるお客様はいました。
伊丹空港では、チェックインカウンターの場所が無い為に、現在のJALが使う北ターミナルの一番端で後方に廻り込んだ団体カウンターに設置されました。 その場所では、手荷物を受託できる施設がなく、壁に穴を開けて梯子にローラーを付けた簡易的なもので、手荷物を流してコンテナに搭載するという原始的な方法を取っていました。
そんな苦労のあった伊丹空港就航でしたが、撤退後は戻る事はありませんでした。それだけに、同じ関西の神戸の路線は維持して貰いたいものと思っています。