JAL

昔の出来事

JALのプロペラ機が降りていた太平洋のとある場所

JALの太平洋線の開設は、その長い航続からアメリカ大陸本土に向かうまでに経由地がありました。 ウェーキ島です。地図を見ると、グアムとハワイを結ぶ線上にあります。 JALが1954年に太平路線を開設した当初の機材がダグラスDC-6Bでした。 ...
搭乗記

一番長いナローボディー機に乗って

初めて搭乗したエアライナーがDC-8-61型機だったのは以前にご紹介しました。 現在までに製造された一番全長の長いナローボディー機(単通路機)がこの機体の57.12mなのです。エンピツエイトと言われるゆえんです。 その後、ボーイング757-...
ボーイング

8.12を迎えて

8月12日 日航の事故というよりは、日本の歴史に残る大事故です。 航空ブログをやっているからという訳ではありませんが、少しでも空に関わる者として、心に留める日にしたいと思います。 事故の無い空を目指して! このブログの別の記事をご覧ください...
ボーイング

御巣鷹山から30年が経ちます

痛ましい事故から今年で30年が経ちます。 改めてこの事故について振り返る必要がありますよね。 手元に残していた個人のフライトレコード(搭乗の諸データを残す記録簿) にボーイング747-SR46 JA8119の搭乗記録があります。事故数年前に...
紙モノ

JAL DC-6Bの旅情

1954年に日本航空の国際線を担う機材として導入されたDC-6Bは期待されていたことが伺えます。 座席数は国際線仕様で、36~58席とYS-11よりも少ない容量で時速も450km/ hでしかありません。それでも、当時の最新鋭エンジンを4発搭...
伊丹空港

JALが作った航空会社とは

JALエクスプレス(以下JEX)の誕生は、独特の感慨がありました。設立は1997年で、日本の航空会社が戦後35年以来の新規航空会社設立を待つ時期として、航空界が一種の独特な状態になっていた頃です。 米サウスウェスト航空の経営が、あちらこちら...