JALの太平洋線の開設は、その長い航続からアメリカ大陸本土に向かうまでに経由地がありました。
ウェーキ島です。地図を見ると、グアムとハワイを結ぶ線上にあります。
JALが1954年に太平路線を開設した当初の機材がダグラスDC-6Bでした。
この機材の航続距離は最大でも5,000kmですので、直行でハワイまでは飛べません。
給油の為に、着陸していたのですが、当時はその案内書が作られていました。
青いイラストで南国の鮮やかな空をイメージしたのでしょうか。
スペイン人に発見され、イギリス人のウェーキ船長によって再確認されて命名されたとの説明があります。
この島には観光施設などは一切無く、住民は全て航空事業に関わる人々であったことが判ります。
この案内書には、更に到着後は旅客をバスに乗せて食堂に連れていき、ご朝食を差し上げると書かれています。
米国領ですが、出入国手続きはありませんので、携帯品は機内に残して大丈夫である旨の記載もあります。
日中ならば素晴らしい写真も取ることができたようです。
絵葉書、手紙の投函も受け付けていたようですので、時間を持て余す旅客の為に色々なアイデアがあったのだと感心しました。
食事後は、再びターミナルビルへ戻るのですが、その時の書き方が、「スチュアデスがご案内申し上げますから出発までゆっくりご休息下さい」としています。滞在の1時間半でウェーキ島の熱帯情緒を充分にお楽しみください。ともしたためられていますので、経由便の不便さを補おうとしていたエアラインの努力が見えるようです。
民間航空史を飾る、一つのエポックであることは間違いありません。
このような旅路に情緒のある案内書を作っていた、JALの国際線開設への努力はそれこそひとつひとつが手探りだったことがわかって貴重です。
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