学生の頃住んでいた大阪から、夏休みの一人旅で目的地を沖縄と与論を選んだ理由は全く記憶に残っていません。
明確なのは、その行程。大阪港から那覇港までと与論経由で鹿児島までがフェリーの旅でした。最後の一区間のみ空路、鹿児島空港から伊丹空港まで全日空のトライスターに乗りました。与論空港の供用開始は1976年ですので、
40年前には空港はあったはず。なぜ、船の旅だったのか不明ですが、思えば旅費が安かったからでしょう。
この行程にして那覇は経由地でしかなく、目的地は与論島。フェリーで2泊、与論島で2泊ではなかっただろうかと記憶を辿ります。
今回、JALで向かった与論空港の訪問を楽しみにしていました。