JALの象徴となった鶴丸の誕生とデザイナー永井郁氏の足跡

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JAL初代鶴丸(1959-1989)のマーキングをまとったジャンボジェット

JAL初代鶴丸(1959-1989)のマーキングをまとったジャンボジェット

JALの象徴として世界中の空を舞う鶴丸デザインは、日本の戦後復興と国際社会への進出を象徴するアイコンの一つです。誕生には、一人のグラフィックデザイナーの情熱と、時代を切り拓こうとする航空会社の志が深く関わっています。筆者がこの物語に触れることになったのは、所属する航空ジャーナリスト協会の先輩で航空機の細密イラストを描く永井淳雄氏との会話がきっかけでした。彼の伯父こそが、鶴丸の生みの親である永井郁氏だったのです。

国際線進出という大きな転換点

1950年代前半、日本航空はジェット旅客機の導入を控え、本格的な国際線ネットワークの拡大を計画していました。当時、世界各国のナショナルフラッグキャリアは、自国のアイデンティティを象徴するロゴマークを機体に掲げ、ブランドの構築にしのぎを削っていました。

JALもまた、世界に通用する日本のイメージを形にする必要に迫られていました。それまでは「JAL」の文字を中心としたデザインが用いられていましたが、より視覚的に強く、日本の気品を伝えるシンボルが求められたのです。

鶴丸誕生前はJALをデザインしたロゴマークだった JAL整備工場に展示される模型より

2代目鶴丸(1989-2002年)JALアーカイブズセンターで2021年撮影

鶴丸デザインの誕生と永井郁氏の思想

広告代理店万年社の依頼でこの大役を担ったのが、永井郁氏でした。永井氏は、日本の伝統的な美意識を現代的なグラフィックデザインへと昇華させることに長けたクリエイターでした。

彼が着目したのは、古来より瑞鳥として尊ばれてきた鶴です。鶴は長寿の象徴であると同時に、一度つがいになると生涯を共にするという性質から、信頼と安全を第一とする航空会社にふさわしいモチーフでした。JAL社内のデザイン選定には当時の柳田社長夫人の意見も反映されることを知り、好みが紫であることを聞き付けて、背景色に採用したとのことです。

2006年枻出版社のデザインムックにも鶴丸は多く掲載されている

永井氏が描き出したのは、羽を大きく広げて円を描く鶴の姿でした。これは単なる鳥の写生ではなく、家紋のような様式美を持ちながら、航空機という近代的な乗り物に調和する機能性も兼ね備えていました。赤い円の中に白い鶴が舞う姿は、日本の国旗である日の丸を連想させると同時に、清潔感と躍動感を世界に印象付けることになりました。

最終的にはアメリカの広告代理店と高野たかし氏のJAL文字が入り三者合体のデザインになったのだとか。

JALアーカイブズセンターのポスターコレクションで左から2番めが永井郁氏の作品 2021年撮影

時代を超えて受け継がれるデザインの力

1959年、この鶴丸のデザインは正式に採用されました。DC-8型機の垂直尾翼に描かれたその姿は、サンフランシスコやロサンゼルスなど、海外の空港で日本の翼であることを誇らしげに示しました。

2002年にはJAS(日本エアシステム)との統合でロゴマークの変更も行われました。しかし、経営破綻を経て再生の道を歩む中で、社員や利用客から最も強く復活を望まれたのは、永井氏が考案した鶴丸でした。2011年、鶴丸は再び垂直尾翼に戻り、現在は最新鋭のエアバスA350型機などにも刻まれています。

現在の鶴丸 エアバスA350-1000の尾翼に描かれたもの

永井郁氏が込めた「日本を代表して飛ぶ」という願いは、甥の淳雄氏をはじめとする次世代の人々にも、語り継がれるエピソードとして大切に守られています。一つのデザインが数十年の時を経ても色あせず、企業の再出発の旗印となった事実は、デザイナーの意志がいかに深く企業文化に根ざしていたかを証明しています。

永井淳雄氏からこの縁を聞いた際、空の安全と世界に通じる日本の誇りを支えるデザインの重みを改めて実感しました。現在、私たちが空港で目にする赤い鶴のマークには、国際線黎明期に挑んだ先駆者たちの思いが、永井郁氏の筆致を通じて今も息づいています。

 

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