ルフトハンザ ドイツ航空の東京ファッションフライトは成功のうちに終わりました。帰国して写真を整理していると、過去に同じ制服を見ていることを思い出しました。
出身地大阪で、伊丹空港へ通っていた頃。空港の集客は今も昔も変わりません。スチュワーデスの制服撮影会なるイベントが開催されていました。
JALは森英恵のミニスカート。ANAはトライスタールックと言われる青、オレンジ、ベージュ3色のパンタロンとスカートの制服と個性がありました。
今ではビビッドな色遣いと言われますが、当時の世相では明るい色が当然のことのようでした。
時は1977年3月27日。春休みの真っ最中のこと。
当時の高校生は、父親から譲り受けた一眼レフカメラにネガカラーフィルムを装填し、空港に向かっていました。
国際線では、アメリカはノースウェウトオリエント航空とパンアメリカン航空が乗り入れていました。欧州は、BOAC英国海外航空からBA英国航空に変わった頃。エールフランスもルフトハンザ
ドイツ航空もそれぞれがボーイング707からジャンボに入れ替わるような時期でした。
伊丹空港の屋上展望デッキには、多くの人が集まっていました。
手袋をしていたのが正式だったのでしょうか。スカーフも少し違う気がします。
改めて見ると、意外な発見があるものですね。