プレジデントオンライン「日本最小の航空会社」を書いた背景

執筆情報

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天草空港での一日
プレジデントオンライン(以下POL)で書き始めて1年半を超える時間が経ちました。その間、出せた記事は今回ようやく10本になりました。私が遅筆なのが原因ではあるものの、吟味を重ねる編集方針にも由来します。

 10本の記事に愛着はありますが、特に最新記事に関しては満足のいくものになりましたので、どのようにしてこの記事が生まれたかご紹介したいと思いました。

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天草空港での日常です 

POLには編集長以下編集者が9名在籍し、書き手と一心同体で仕事を行ってくれます。私の担当は、Sさん。大手新聞社出身の方です。

 記事の掲載までの流れは次の通りです。構成案を考えて提出し、編集者からOKが出れば執筆し、その後校正に入り写真を送って、テストページができて確認の後掲載に至ります。その間、長いものでは3か月近く掛かるものもあります。

 それが、今回の記事は、取材から15日目に掲載されました。それは、記事の掲載日が決まったからに他なりません。取材前は、この記事を誕生させようとしたわけではありません。インタビューを通じて、記事案が浮かんだのです。「日航機事故」。35年前の御巣鷹山墜落事故です。812日の命日に掲載しないことには記事は活きません。

 取材源であった天草エアラインの小林専務の仕事振りがあったからこそ実現した作品です。これは世に出さないといけないという使命感がありました。

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天草空港で離陸滑走を始めるATR42-600型機
さかのぼること2年前、天草エアラインの「乗るだけ運賃」を取材した時のことです。当時は小林専務が就任し1年も経っていないころ。天草エアラインの初便に搭乗するために6時半には天草空港に到着し、ビルの開館を待ちました。すぐに2階の展望デッキに向かって機体の撮影に入りました。そこには既に小林専務の姿があったのです。

 今回は新社長へのインタビューがメインでしたが、同じ姿を見て急遽話を聞きたいとお願いしました。日航機墜落事故の時にはJALで成田空港に勤務する整備士であり、大変な思いをされたことを聞きました。

東京に戻り、写真を整理していると機首部分を磨く小林のさんの祈るような姿がPCに現れました。2年前の姿と今回のインタビュー、そしてこの画像を見た瞬間に文章が湧き出てきたと言っていいでしょう。

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福岡空港で離陸を待つATR機
 

早速POLSさんに話すと、「いいですね、書いてください」との返事。すぐさま執筆に入りました。その間、Sさんとのやり取りは省略しますが、ひとことで言うと「大変な思いをさせた」のひとことです。新聞記者としてのノウハウがありますから、気付きが多くてとても参考になりました。

 天草にいらっしゃる小林さん自身にも携帯へ何度も追加取材をお願いしてしまいました。多くは語られませんが、「記事を見た家族が喜んでいる」と聞き、ほっと胸を撫でおろしました。

 今回こそ、POLが掲げる「読者に感動を与える、読者至上主義」にかなう記事ができたと自負しています。

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POLトップページの写真数秒後の小林専務の姿 

記事がヤフーニュースの中で、ヤフートピックスに取り上げられコメントは214件付きました。POLの「いいね」ランキングでも現在全体の6位にいます。

 これも読んで頂けた皆様のお陰です。この場を借りてお礼申し上げます。

お時間があれば、再読をお願いします。POL ⇒ 乗客が8割減「日本最小の航空会社」がそれでも一日4回の機体磨きを続けるワケ このタイトルが生まれるにも時間が掛かっています。

 格好良い言い方をすれば、私は編集者とともに表現しただけです。やはり一番素晴らしいのは小林専務の日常なのです。

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